1月2日に初詣と初釣りを終え、ようやく新年始まった感が出てきました。
(釣りは雪の中頑張りましたが、ボウズでした)
さて、我が家は田舎の普通の?日本人らしく神仏やご先祖様を信じているのですが、たまーにそれらの縁を感じることがあります。今年の初詣では、特にそれを強く感じる出来事がありました。
地元の神社は「白山神社」
今でこそ、羽咋市の兵庫という場所に住んでいますが、僕が生まれ育った実家があるのは土橋という土地。
地元の神社は白山神社であり、全国の白山神社は白山比咩神社を総本山?とする菊理姫様をお祭りしています。
その縁もあり、東京にいた時から白山神社へは定期的にお参りに行ってましたし、こちらに移ってからも初詣では必ずお参りし、自宅の神棚にも神札を祀っております。(毎日、米・塩・水をお供えしてます)
正直、東京にいた時は一方的にこちらがただ慕っている状態で、神様との縁などを感じたことはなかったのですが、こちらに移ってからは事あるごとに縁を感じるようになりました。具体的にいうと『呼ばれてる』感じです。
分かりやすいところだと
・神棚を設けて神札を地元にある大きな神社にするか白山神社にするか迷ったとき、白山神社に行く用事ができる→神札決定
・初詣の挨拶を後回しにしようと思っていたら、白山神社の前を通らざるを得なくなる
・白山神社のおみくじのみ、本当にそのときの状況にドンピシャ→その後も当たる
などありますが、他にも細かいことが沢山。(細かすぎて言葉にはできないのですが・・)
『会いに来い』『顔見せろ』と言われてる感じですし、おみくじでは毎回、愛のあるお叱りをいただいてるように感じます。(妻曰く『僕は人の話を聞かないので神様がかわりに叱ってくれてる』とのこと)
妻にはそういうことは無く(後述しますが、むしろ逆)僕だけ。女性の神様なので、やはり男性と相性が良いのでしょうか。
もう一つのご縁「気多大社」
さて、地元羽咋にはもう一つ、ご縁のある神社があります。
それが気多大社。大国主命を初めとする多くの神様をお祭りする、能登地区最大の神社の1社です。
ここには菅原道真公も祀られているのですが、初詣の時期に供えられる一升瓶の御神酒に貼られる文字を、母方の祖父が毎年書いておりました。(なんという字かは忘れました‥)
その縁で子供の頃は毎年、こちらに帰ってきてからも数年の間は初詣に行っておりました。
祖父が亡くなった今でも、母方の実家と気多大社のご縁は続いており、叔父が毎年春先の「おいで祭り」にて自宅に御神輿を入れて休んでもらう「お宿」を提供していたりします。
また、妻も気多大社とのご縁があるのか、はたまた大国主様に呼ばれたのか、一時期、気多大社にて事務のお手伝いをしておりました。
神様の相性というものがあるらしい
そんな、二社とご縁がある生活をしていたのですが、現在自宅でお祀りしているのは天照大神様と白山比咩神社の菊理姫様のみ。
というのも、以前は気多大社の神紙(中央に「氣」と書かれた紙)も神棚に飾っていたのですが、どうも飾った直後から「ラップ音の発生」と「家庭内外の不和」が多発し、外してしまったのです。(外したら何事も無かったかのように元に戻りました)
気多大社の神紙は上記の「おいで祭り」のお手伝い終わりにいただいていたのですが、そんなことがあってから貰わないようにしております。どうやら、神様どうしの「気の相性」というものがあるようです。
妻はお呼びでなかった?
とはいえ、妻はやはり気多大社と縁があるようで、その後も複数回に渡ってお手伝いに行っておりました。
一方で、白山神社とは縁がない(または相性が悪い?)のか、妻が僕抜きで白山神社に行く用事(母親に頼まれるなど)が出来ても、ことごとく邪魔が入ります。結局、今に至るまで僕抜きで行くことはありませんでした。
理由は分かりませんが、妻曰く『私なんかお呼びでないのでは』とのこと。
特に今年の初詣はそれが顕著だったようで、境内に入った直後から雷は鳴るし、妻がお店用に買った干支土鈴だけ中身がないしで、『本当に呼ばれてない』と感じたそう。
二人で並んで1つずつ買って(僕:家用、妻:お店用)、妻のだけ土鈴と開運札が入っていない。
こんなこと滅多に起こるものではないですし、やはり縁がないのでしょうね・・。
妻としても、『今回は流れで買ってしまったものの、元々お店のお守りなどは気多大社で買うつもりだった』『良く考えたら、なんで買ってしまったんだろうと思ってた』という状況で起こった、この出来事。
今までのことが重なって『なんとなーく感じていたものの、確信に至った』とのこと。
というわけで、家は今まで通り菊理姫様をお祀りしていきますが、お店は気多大社の大国主様をお祀りすることになりました。
人によって縁のある神様が違うというのは不思議ですが、神様仏様ご先祖様というのは、ずーっと見てくれているようです。
ありがたいですね。
神様だけでなく人にも属性というものがあるらしい
まあ、神様にも天津神様・国津神様があるように、人にも天に属する人・地に属する人というものがありますから、相性の良し悪しがあるのも当然かもしれません。
天と地という表現はなんともゲームっぽい感じですが、どちらが良くてどちらが悪い・どちらが偉いなどの話では無く、陰陽のような、それぞれの魂の役割が異なるだけの話です。
これは個人的な感覚ですが、「一人だけでも人生を楽しめる」「街よりも誰もいない山や海が好き」「釣りや登山などの自然の中での遊びが好き」という人は天寄り、「人と人との関係の中でこそ生きがいを感じる」「大勢でいるのが好き」という人は地寄りな感じです。もちろん、ちょうど中間という人、両方の属性を持ってる人もいます。
妻も『星読み』ができるようになったため、よく僕や家族を練習がてら見るのですが、この感覚は似ているようです。
星読みでの人のエレメント(要素)には土・水・火・風の4つがあり、僕は風と火が多い人で、妻は水と土が多い人なんだとか。
風や火のエレメントが多い人は天寄りで、水や土のエレメントが多い人は地寄りなんでしょうね。詳しくは分かりませんが。
それぞれ異なる属性・異なる役目があるというだけの話です。
風や火のエレメントが多い人は天津神様に、水や土のエレメントが多い人は国津神様に縁があるのかもしれませんね。
一度、自身のエレメントなどを調べてみると面白い縁が見えたりして。
妻のお店でも星読みは受けられますので、興味がある方はお店までお越しください。
※2021/1/3現在、まだ正式にオープンしてませんのでご希望の場合は「お問い合わせ」よりご連絡ください。
▼神仏や人との縁や直感など、目に見えない繋がりを確信したいと思っている方はこちらの本を読んでみるのがお勧め。
目に見えない物(スピリチュアル的なもの)ばかり盲信するのは地に足が着いていなくてダメですが、こんな状況だからこそ、目に見えない神仏を大切にしてきたご先祖様の古の感覚を知っておくと良いと思っております。いざという時、役に立つのは神仏の教えと自身の直感です。